空気売りの少女 誕生まで #012

勝鬨(かちどき)橋から東京タワーを望む

『空気売りの少女』は最初にストーリーが生まれた。そして、なつきをモデルにした「空気売りの少女」が生まれ、最後に背景の絵をあてはめていった。

かねてより、あるほは、写真撮影において「意図的な何か、例えば、興奮、誇張、感動、わざとらしさ、言葉に縛られる」を排して自身の記憶を頼るのみで撮影を行う方法を模索してきた。

そのように撮影した作品には、意図したことを遥かにしのぐ、記憶を頼りにした膨大な過去から蓄積した情報が整理され、ときに曖昧なまま表現されると信じているからだ。

だからこそ、撮影後にその写真を、読み取る時間は非常に大切であり、それは、今と撮影時の情報を結びつける行為であり、その1日で足りることではないのだ。

それをしばらく繰り返すと、やがて、そこに、ぽつらぽつらとキーワードのような言葉が浮かび上がってくるのだ。(その浮かび上がったキーワードは、新たな記憶としてインプットされるはずである)

山形に移住し、地元の人との関わりの中で、「東京から来た人」を自ら意識する場面があることに気が付いた。移住した33才までの共有出来る山形の情報や記憶はないのであるから当然と言えば当然である。

しかし人生において、「内から見る」ということしか、してこなかった人間は、「外から見ている」を知った瞬間にはじめて「内から見る」という概念が生まれることにも意外性をともなって気付くのであった。

冒頭の写真は、それを知って、東京へ帰郷したときに撮った一枚だ。
何度も何度も、この写真を見返し浮かび上がってきたことは、実に多くの示唆を与えた。

この写真は、中央に東京タワーを配したThe 夜景である。撮影した場所は、勝鬨橋(かちどきばし)である。下部に光っているのは、築地市場である。

あるほは、山形に移住する直前まで、この築地市場の仲卸で塩乾物を取り扱っていた。原付で北千住からこの築地の市場まで通勤中に、東京タワーを目にした記憶が無い。当時、東京タワーの下で働いているという感覚を持ったこともなかった。そのことに驚いた。
そして、この写真は、あるほにとっては、築地市場を外から見ている風景であり、ほとんどの人にとっては東京タワーの写真であろうことに、共感の難しさを知るのであった。

これが『空気売りの少女』の背景に東京の風景をあてはめた一つの理由である。