John Cage’s 4’33″、Robert Rauschenberg, White Paintingは、無音や、白いキャンバスに、偶発的な環境もあわせた作品と捉えていた。無ということへの探求は、物理学だけでなく、このような芸術作品からも多大な影響を受けている。
写真において、見るという意志は一般的には焦点を合わせるということであるから、空気を見るという行為自体を写真によって表現することは簡単である。焦点をそこに合わせさえすれば良いのだ。同時に人間の目との違いが明らかとなる。たとえば壁をぼーっと眺めていて、その3cm手前を見ようと努力しても、どこに焦点をあわせてよいのか分からない。しかし写真であれば、3cm手前に何かを置いて焦点を合わせてしまえば、それを取り去っても焦点はそこに合わせたままでいることができる。
別の言い方をすれば、いま、手を眺めていたとして、手を取り去ってしまえば、どう抗っても、別のモノに焦点は合ってしまう。
そこで、その写真の中で唯一信じられるものを空気だけにしようと、試みたのが、2014年のプロジェクト 「Aer > Aether」である。
このプロジェクトは、2枚の写真の不自然な違和感を理屈よりも早く脳で感じていただき、その脳があらゆる記憶の中から信じられることを探す時間を作り出すことを目的とした。
そして、この重ね合わせることによって焦点のあった面を意識させる手法は、写真絵本『わがままナおうさま』、『空気売りの少女』でも特に大事な要素として、線画の面を意識していただくことにより、空気の層(面)を言葉より先に感じてもらえるよう試みたのだ。(つづく)