山形にいて、幼い頃の東京の情景をありありと思い出したきっかけは、匂いから結びつく記憶のつながりであった。
この頃僕は「きく」という言葉に注目していた。酒を利き、香木を聞く。そもそも、聞くとは五感で感じとることを意味し、心で聞くのである。
単に物理的現象としてではなく、心を介在して「聞く」ということに注目し、それを表現することが、当時の僕には、「いま、必要なこと」と思えたのだ。
これらの写真はプロジェクト「VOICE 2013」として、まとめた。
以下の文章は、2018年の展示におけるステートメントであるが、この頃から、現在に至るまでの流れを要約したものとなっている。
2011年以降、見えない物を意識する取組として「VOICE」というプロジェクトを始めた。山川草木悉皆成仏の言わんとしていることをひもとき『そこに、なにかが、在ると思えること。そして、在ると仮定して、そこから、学ぶことができること』。このことが、今の時代に必要とする知恵だと思ったのだ。
風景を見ることによって、自然の声を聞こうとする、写真作品だ。その後、人間にとって、最も大事なものの一つである空気が、最も普段意識しないものであるという事実から、空気から何かを学べることが出来るならば、それは、あらゆることから人間にとって大事なことを学べるということに気付いたのだ。
人間の目とは異なり、カメラが中空でもピントを合わせたままでいられるという違いは、空気を撮れると確信した瞬間であった。
空気は、老若男女、罪人に至るまでわけへだてなく行き渡っている。そして、空気がなければ人間は死んでしまうのだ。空気を撮ろうする試みは、ばかげたことではなく、そこに、在るものを感じ、そこから何かをまなぶことなのだ。
僕は空気が写った作品を制作し続けている。
(つづく)