相手の心を慮ったりするように、目に見えない大事なことがあることはたくさん教わってきたし、経験してきた。社会にもまれ大人になるにつれ、意識しなくても振る舞えるようになれば、言葉として「見えないモノを意識する大事さ」ということをあえて意識することがなくなるのは自然な流れだ。
ふたたび言葉として明確に「見えないモノを意識する」ということを意識したのは2011年の大震災に付随する原発の事故だった。「見えないモノを意識する大事さ」というよりも「見えないモノを意識せざるを得ない恐怖」であった。
高校時代、化学と地学を選択していたが、科学者の本を読みあさるうちに、多くの科学者が、科学の発展の結果、軍事力の発展に繋がったことを残念に思っていたことを知った。(軍事の発展のお陰で、生活が便利になっている事は、いずれ私のプロジェクトとしたい)そのことがきっかけとなり、原子力の平和利用に大きく心を躍らせ、あわてて物理の勉強を始めたのだ。1994年、僕は大学の物理系の門を叩いていた。
原発の事故と同時に、当時一緒に勉強した仲間達の顔が浮かび悔しい気持ちにもなった。原子力は管理されてしかるべき物であったし、世のため人のためにとの思いの結晶であった側面を知っているのだ。
放射性物質は飛来していてもおかしくないという知識と、現実、それを確かめる術のなさからくる恐怖。なにより、散歩を日課としていた祖父に控えるように説得できなかったこと、蕗の薹を食べない方が良いと説得できなかったこと等、無力さを感じ、もどかしい思いを抱え始めたのだ。(つづく)